top of page
  • 執筆者の写真ShinFukuda

食事をするということ


これは先日いただいた極上のカツオです。


さて、普段私たちが当然のように行う食事ですが、ふたつの側面があると思います。

一つ目は「楽しみ」として。もうひとつは「栄養摂取」として。

このふたつが同時にあって初めて本当の食事と定義できると思います。

このふたつが同時にあるというのはどういうことでしょうか。例えば楽しみだけが食事だとした場合。ケーキが大好きで毎食ケーキを食べているとか、ラーメンが大好きで毎晩ラーメン屋さんに通っているとか、最高に楽しいしストレスはたまらないでしょうが、それと引き換えに皮下脂肪はたまり不健康になっていきます。一方で栄養摂取だけが食事だとした場合。極端な話ほとんどがサプリメントや味気のない食品だけで済んでしまいます。生きていくことはできますが、楽しくないのはストレスがたまるので別の意味で不健康になりそうですね。


私も以前、昼食にガッツリと食べてしまうと午後に異常な眠気がきてつらかったので、カロリーメイトだけにしていた時期があります。確かに眠くなったりだるくなったりすることはかなり減ったのですが、なにせ楽しくないしストレスがたまるので止めました。

「楽しみ」と「栄養摂取」のふたつの側面があって初めて食事であるというのはこういうことです。


なぜそのような話をしたかというと、「人生の終末期」における食事というのを考えた時に非常に大切な概念だからです。


人間が年をとって心身ともに老化していき、さまざまな病気を重ねて弱っていくとき、必ず直面するのが食事の問題です。なかなかごはんを食べてくれない、どうしても水分をとってくれない。当然ながら食事をしないといずれ人は死にます。

とくに水分がとれなくなると比較的速やかに死へまっしぐらとなります。


ここで出てくる問題が、「食事や水分を無理にでもあげるべきか」ということと、「口からとれなくなったら他の方法で与えるべきか」ということです。

本人や家族の意思というのが非常に重要になってくるのですが、ここでひとつ知っておくべき言葉があります。


VSEDという医学用語です。

これは、Voluntary Stopping Eating and Drinkingの略で、つまり「自発的に飲食することをやめている状態」ということです。


食べたり飲んだりすることができないからしないのではなく、したくないからしないという状態です。深層心理では死を受け入れていると考えられ、もっと言うと死期を早めたいという気持ちの表れでもあります。

このときに、無理にでも口の中に食べ物や水分を入れることは正しいのでしょうか。鼻から管を入れたり胃ろうを造ったりすることは正しいのでしょうか。

もちろん悪意を持ってそのようなことをする人はいないと思うのですが、善意が本人にとってどうなのかということは考え続けないといけないでしょう。


たったひとつの正解はなく、それを考える人の数だけ回答はあるのだと思います。

閲覧数:218回
bottom of page